音楽を辞めたくなったとき

頑張れ、いっとまん。
マイペースで良いんだよ。

22.11.15 [音楽をやめたくなった]
僕は、昔サッカーが好きで、クラブチームで、ストライカーをやっていました。読売クラブってところで、サッカーがうまい連中らとチームを組み、外の試合では仲間として、練習ではぶつかり合いながらも、厳しい中、良い経験が出来た時代がありました。当然ですが、その中には、プロを目指す野郎たちが、ごろごろ居たし、僕は高校に入る前に、ひっそりと辞めてしまったんです。受験勉強が面白くて、塾に通うことと、練習に出ること、どっちかにしようと考えた。サッカーよりも、勉強に絞ったのね。その選択は、今では、あまり良いものでなかったかなと思うけれど、高校受験の勉強は、僕にとって最後のガリ勉していた時期であり、自主的に取り組めた、掛け替えのない経験の一つ。サッカーをやってても、その頃は面白いと感じられなかったし、僕は楽しいという気持ちが続かなくなってしまうと、どんなに積み上げてきたものがあっても、辞めてしまう人間であった、と思います。

大学受験の頃は、ほんと何だったんだろうと思うほど、適当にやり過ごして、自宅で寝てばかりの時期が、3年ほど続いたよ。勉強することは、かっこ悪いとかダサい、という価値観が、附属高校でしっかりと植え付けられてしまい、大好きだった勉強も断念して、目的のない人間として、不甲斐ない時期を過ごした。成人する前から後の、18~22歳までの4年ほどが、最も、息が詰まるほど自分の無能力さを嘆いて、被害妄想も強く、身動きのとれない苦しい時期でした。それから、僕は統合失調症という診断をもらって、閉鎖病棟に三ヶ月ほど入院して、治療を受けた。その後は、女性への抵抗をなくしたいからという面と、はたまたは、モテたいっていう気持ちもあって、ホストになって、新宿の歌舞伎町で、短い青春を謳歌した。いい年して!!、と言われる年齢だった。周りは、20歳にもならない連中だったし、既に僕は22歳くらいだったからね。最後は、ホストも面白くなくなっていたよ。

唯一の興味は、ビジュアル系のバンドのアルバムを集めて、家のステレオで聴くこと。あとは、小説を読むこと。今も続いてる趣味である、音楽と文学が、結局は、僕の人生の大部分に、なって行く。社会人入試で大学の夜間、第二文学部に入ったのは26歳だったかな。今の彼女と出会って、2年くらい過ぎていたと思う。30歳になる前後の8年間もの間、大学にいた事になる。26~34歳まで。ブラックだった、ビラ配りバイトに、6年ほどお世話になった。駅前で、コンタクトの○○○○です!!と言いながら、必死にビラを配る、仕事だった。それまでの中で、一番続いた仕事だった。文学も大好きだったから、最後の二年ほどの勉強一本の大学生活、卒業しろというプレッシャーもあったけれど、どの教科も良い成績で、最終的には、卒業を掴みました。

大学時代には、軽音楽部でボーカルをやって、四年のときには、部長も務めて、音楽って大変なんだなって、経験してみてよく解ったのと、文芸部で、小説を書くことも、スタートさせていて、文章って大変なんだなあ、と痛感する日々だった。音楽のほうで、僕はトラウマとなる出来事があり、大学の2年生に上がるときに、閉鎖病棟に戻って、二度目の治療を受けた。練習なし、カバーする音源も自分で用意してね、という感じの、自主練だけで本番っ!!、という流れが、僕にとっては初めてだったのと、洋楽の知らないバンドの曲の音源を、レンタル屋で借りる事さえも出来ずに、僕も用意不足のまま舞台に上がってしまって、ろくに歌えもせずに、散々たる結果に終わってしまった、文化祭があった。周りからは白い目で見られ、最悪のボーカル、という評価が与えられた。それから、僕はサークルでもビクビクするようになり、小説の方も文章のミスが多いと指摘され、在籍メンバーから外された。これが僕の経験した、大学在籍8年間の成果だった。一番痛い経験は、大学時代で全てやった、という事かな。

大学を卒業した34歳からは、父が自分の起こした会社の事務所に来いと、言ってきたので、賃金なしのサラリーマンとして、フルタイムの時間を、事務所で過ごした。父からは、厳しく育てられた。父は億を稼げる営業マンで、当時の父を知る人間は、こぞって、伝説のごとく父の仕事のエピソードを語って、賞賛するほどの、大きな結果を残してきた人間だった。僕は、無能なまま事務所でも、いい目では見られず、僕は一年と少し頑張って、そこにも行かなくなった。それから、僕は、彼女と住んでいる江東区に、住民票を移して、病気とも初めて真面目に向き合った。すぐに障害二級の手帳を取得、障害年金の受給も始まった。発症してからの、国からの給付金が、500万円ほど振り込まれた。その頃、彼女が25年務めた銀行を、辞めた。詳しくは言えないが、それから僕たちは、二人だけの無職の時期を、5年ほど送った。最後は、500万あったお金も、生活費で消えた。

んでね。二人で巻き返そうねーー!!、って話し合って始めたのが、今の葛飾での暮らしだったのね。僕はアメブロに、自分の文学の全てを託して、結構フォロワーさんもいたサイトを運営していた。それでも、文学中心だった時期は、いつの間にか音楽の方へと、切り替わっていく。YouTubeに、ロックボーカルいっとまん、という、チャンネルを作って、歌をアップすべく、スタジオやカラオケ屋に通って歌を録っては、音楽編集ソフトも、ゆっくりではあるが学びつつ、ボイトレにも通い直していた。2018年末に、初めて渋谷のアンコールという小さな箱で、初のライブを経験した。そして、徐々に今の活動と重なってきて、アルバム制作やその為のオフボーカルによるオケの作成、歌ってみた動画や、ライブ映像なども、YouTubeにアップするように、なった。あの頃のアメブロ(「憂鬱遊」)や、YouTubeチャンネル(「ロックボーカルいっとまん」)も、今では当時の姿は消えて、形を変えた。僕の人生も、いやはや、47歳にまで来てしまったんだよなっ!!!

いまさら後悔も、ないよ 笑。
良い結果、何も残せなかったなあ、って、思っていますが。

そんな経緯で、僕はいま、WordPressブログ(「ジャック~憂鬱なる獣星~」)と、YouTubeチャンネル(「イットマンの世界」)をメインに、音楽と文学とを楽しみつつ、活動をしています。それと、カラオケ動画SNSカラスタ(「すなおくん 猫助Jr.」というアカウント)で、歌っています。僕の音楽で関わり深い先輩である、KAJINさんときーさまさんの対バンLIVEが、先日あって、僕にとっての世界線が、またひとつ同期されました。KAJINさんには、作曲でお世話になり、きーさまさんには、プライベートで親しくさせてもらって、色んなアドバイスの中で、精神的な、啓発の恩恵を、受けました。そして、いま新しい先輩に、だいすけさんが居ます。だいすけさんは、僕自身の音楽のテーマ曲を作って頂き、特別な立ち位置におられる先輩です。それに加えて、もう一人、名前を挙げさせて下さい。本田江さん、がいます。彼は芸術家と言っていいかもしれません。独創的なピアノ曲で弾き語りをされていて、僕の歌も応援して頂けました。

全てが、ひとつに繋がり、また広がっていく事でしょう。僕の人生に、これだけ豊かな人間関係を与えてくれたのは、文学と歌を続けてきたからだ、といえます。今後は、大学時代の先輩である、前田さんとも、再び音楽で繋がっていこう、と思っております。更に言うなれば、大学時代から通い出して、お世話になってる、シャイニーミュージックの斉藤信也先生にも感謝しております。いまも、僕は、先生のボイトレに、通っております。ギターやコーラス、キーボードなどの、レコーディングテイクをお願いしたり、歌では僕のペースで、長い目でのご指導をしてもらった大恩人であります。これからも、大事にして行きたいと思う方です。

ライブで繋がったりした、数々のシンガーさんも、ツイッターを中心に、大切にさせて頂いております。僕は統合失調症で、ネットに寄り添いながら、マイペースに活動していく者です。ぶつかってしまって、フォローを外した方もいます。それは、僕の精神的な負荷を減らすために、どうしても必要だった事であり、僕自身の身勝手な行為にすぎません。尊敬している方であっても、日常的なSNSのフォローはしない、と決めたりもした。色んな方とも、すれ違い、はありました。悔しい思い、もありました。僕自身の中では、悔しい思いをしても、精神的に迷ったりせずに、とにかく自分を前進させるパワーに変えていく、と決断したり。未熟さがそうした、ぶつかりで、成長に繋がっております。ぶつかりは、今後の僕自身の活動でも避けられないものと、覚悟はしております。やはり同じ音楽や文学をやっている者であるならば、立場的に仕方ない事もあるし、考えの面で対立するのは、むしろ当然である、と言えるのかも知れません。僕はそれでも、いつか己の成長した先で、離れていた絆を結び直そう、という希望を捨ててはいません。しかし、僕が自信を持てるほどの、納得いく成長ができずに、再会を果たせないかも知れません。そんな危惧もありつつ、そうはさせたくはないぞと、己を奮い立たせているところです。

もし、この先、ご縁がなかったとしても、笑い合った日々を思い出して、しばし追憶に遊んだり出来るし、出会いと別れは運命でもあり、悔いが無いよう、これからの自分を、精一杯生きていこう、と思う所存であります。長文でしたが、色んな事を書けて良かったです。僕にとっての、2022年11月16日からが、また新しい自分との戦いであるとともに、皆さんと愛を築くための勉強だ、と思っております。

Thanks for your lots of Love on my way of life. 

(以上、ららchanより)

早朝の駅にて(バイトへ!!)

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