エロス讃歌
『性欲という儚さ』
〜なんか皆んなも考えてる?〜
はい。ららChanです。思春期は過ぎてしまい、性の世界が遠くに行ってしまった中年後期の現在、性処理をする事が健康に良いとか悪いとか、はたまた抜け毛が加速する意味で、意地らしい新陳代謝や深い睡眠への導入などの意義や、性欲の根源には人を想うことの憧憬、友愛への志向、コミニュケーションへの欲求など、人間の営み全般との因果が無数にあって、愛や理想への発展に続くもの、というイメージが、僕の中にある。
ある文学を読み終えた時にオルガスムとよく似た、エナジーがジワッと出てくる。生命の神秘という言われ方もされるように、エロスとは、人間の行為の中枢に働く思考と深く結びついて、あらゆる配慮の源泉ともなり、祈りや感謝とも結びつく。
男性の抜け毛やハゲが、過剰な性行為と結びつくように、破壊や消耗、アンバランスな思考にも傾く意味で、性の捉え方が熟されてない人間は、神経系統と和合するエロスを感じられない不全さがある。物事に向かうやる気となる衝動や肉体的な機能を高める負荷などを、精神の沈静化と絡めて性処理の深い意味をとらえた時に、死へと向かう生命の愛の波をなげうって営むエロスの意義は、果てなきものと想う。
人間は、愛欲と性欲と知識欲と思考欲と鍛錬欲という、幾つもの欲を持ち合わせる。そうした機能として生命を考えた時に、性処理をもっと高次元の哲学へと見做して、その深さに崇高さを覚える自分がいる。常に性は、生きることと結びついて人間の思考に貼り付いている。その捉え所のなさを儚さに例える事で、いつか性とも別れる時がくると知る。
死ぬことが自分が描いた愛の最期となる。そんな事を想って書き散らしました。(今日は、ここ迄)