歌と向き合っていくとき

『幹と枝葉ー大事なバランスー』
22.12/03 PM 11:49

ららchanは歌がメイン。そして、色んな枝葉が日々の生活にあって、歌の中に、養分を持ってきてくれる。歌って、そんなに難しいものじゃない。でも、主体的に歌と向き合って取り組んでいくと、その世界の広がりに驚くと同時に、なんて自分は味気ない歌を歌っていたかに気付くんです。日々、歌うことを続けていけば、その人の持つ歌が育ってくる。声が出ないこと。それはスタートとしてみんな同じですよね。

高音とかは子供の頃、遊びの中で無意識に出していた事を、記憶してないでしょうか。遠くの仲間を呼ぶとき。はしゃいで夢中になって、叫んでいるとき。感情を込めて、饒舌にしゃべっていた頃のこと。楽しい思い出が、蘇るのではないでしょうか。歌は、自由です。メロディーに対してどうアプローチしても、個性として許される。しっかりと声をまっすぐに出すことは、大事ですが、変化球や事件や挑戦や実験を試して行くことで、発声の奥行きやフレーズに込める自分なりの技術などに繋がり、その声が自分に必要だと思うならば、下手くそでも使っていこうとする、表現への貪欲さやバリエーションへの踏ん張りが大切ですよね。

どんな声が自分に出せるか、出せる声の種類を確認するために、色んな感じで声を出したりしてみると、声って意外と日々の中で使ってない事に、気付いたりしますよね。そして、声によって感情が揺さぶられる事に、改めて気付かされるわけです。

歌を形にする時に、声の記憶を自ら呼び起こして、脳裡で歌を組み立てるアプローチは、大切です。自分で気付いていない声を、新規に見つける時もあったり、表現の幅に活かせる声の掘り起こしに時間をかけること、是非やってみて欲しいのです。ナレーションや台詞の歌への応用、呼びかけ、シャウト、訴えかける想いの丈、捨て台詞、促し、相手を承認する時の喜びや、感動したときの高揚感など、ドラマが生まれる瞬間は、日々の経験で、幾つもあると気付きますよね。何かが動き出すときには、声が常にその場に伴ってきた、と思っています。

人と人が集まれば、色んな経験が生まれます。共感や反感、親しみとか違和感、無慈悲さと寛大さ、明るい声と暗い声の印象のグラデーションやメリハリ、怒りと懇願など、正負の感情が、人生で体験される人付き合いの中で、刺激となって、精神が様々に揺らいでいきます。そこで、人間的な成長のきっかけを掴むのです。理性の中で掘り起こされる葛藤や、困難を乗り越えていく過程に、孤独の問答があって、生き方や進むべき道の答えに至る際に、未知の声が様々に生成されていく。想像力が声になっていくのです。

どうしようもない時に、自分なりに出す結論、そのとき、周りの反応や言葉に、自分がどのような声で応答するのか。どんな言葉や反応が、その場の自分に出来るか、など、沈黙と動きの狭間でせめぎ合うダイナミックさ。物事は動いていき、その都度、自分は試されていくのです。声を鍛えるという事とは。人生での経験を脳裡に刻み込み、分析して把握していく作業でもあります。変化を恐れずに、自分自身を楽しんで、演じていく。その過程が、歌の成長に、必ず繋がっていくはずです。

そう。歌って、その背景に、人生での経験の深さや、自分の知らない思いや感情が、眠っていること。それが、歌に様々な効果として現れてくるときに、人を感動させるドラマを生み出すのだと、思います。ぜひ、歌っていくときに、自分の日々の経験を、その都度、振り返ったり、改めて噛み締めたりすることで、声の表情、歌の表現や演出に、活かしていって欲しいと、思います。では、また。

(以上、ららchanより)

スタジオ練習のあと、マックにて(^^)

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