愛について3部作(小説)
愛について
第一章
「あなたの愛の価値を鑑定します」
1.
謎の男が、町中で露天を広げて、何だか面白い語り口上を繰り広げてるそうだ。露天には、愛と何を交換しますかの鑑定、一回300円と書いてあるらしく、気軽に庶民らは彼の相手をして、何だか言いくるめられ、ピリッとしたクリティークを頂戴して帰宅するのを習慣にしている常連客も多い、との噂が立っていた。鑑定には、仕事の悩みを、何個か打ち明けてもらうのを条件にしているそうだが、庶民にとって仕事の悩みとは如何なる内容を持つものか、少し私も興味を抱いた。私は、お客になるよりは、謎の男のお近付き、楽屋仲間になりたいと願った。夢のある仕事をする人間も居るもんだ、私はそう思って、何とか彼と友人になる方法を考えようとした。世の中を俯瞰してみせるような痛快な云い回しで、細部に神が宿る鋼のように鋭いクリティークを展開すると聞いていたが、私は、そんな我らとは別格の賢人にへつらってたかるような民衆どもは、馬鹿面こいて、イライラした生活の気晴らしを得ようと、ここぞとばかりに、露天のあるじをけし立てながら、興味津々につま先立ちになって首長族よろしく見物する糞クズ共なんだろうな、と、そんな気持ちのまま、心の中でせせら笑いながら、煙草を吹かしつつ悠長に構えていた。
2.
あるセールスマンが、何だか謎の男の耳元で、悩みを打ち明けようとしている。私は、少しばかり彼の仕事ぶりを偵察しようと、そっと遠目から、彼の顔と声が確認できる位置に立って、眼鏡をかけてじっくりとその場の客に混ざった風情で、見学する事にした。
謎の男は、一気阿世にケラケラと高笑いをした。セールスマンは、悩みを打ち明けた模様だ。
露天の主の口から、次々に繰り出される、預言者のような深い考察の世界を学んでやろうと思った。しかし、その男は何だかセールスマンにしか聞こえない声を使っているのか分からないが、小さな範囲の者にしか聞こえないような声で捲し立てて弁舌しているみたいだった。私は、聞こえる場所を確保しようと、人集りを掻き分けて近寄ろうとした。すると、見物客の中から、何やら小言で私のことを批判しているような言葉が耳に入った。確かに誰もが気付くような声だった。だが、誰も私のほうを見ていない。ふっと反応して、私は誰が言ったんだと、人混みに向かって犯人を探すように目を巡らした。自分の事を云った奴は誰だと、思えば思うほどに、その犯人の事が恨めしくて仕方なくなった。だが、露天の辺りからワッと上がる歓声やら、笑い声やらに気を取られて、犯人を見つけるどころな状況では無かった。祭り騒ぎは、昔から余り好きではなかった。それでも、露天という庶民染みた場所で、謎の男が行っている知的で高尚な仕事は、私と云う人物でさえ興味がそそられてしまう程の魅力があって、彼の仕事は絶対的に評価しなければならぬ、と云う、自分が抱く強烈なその思いを、いまさら翻す事など、出来なかった。私はただ、彼が何を話しているかさえ、伺い知る事が出来れば良いのだ、と考えていた。
3.
隣の男が、肩でぶつかってきて、鋭い咳払いをして、びくっとそっちに振り向くと、その男は子供のような顔をして、露天を凝視しているようで、いったい私はそいつに対して、どう対応すれば良いのかが、分からなかった。おまえのことだよ…、そんな一言が心の中に響いた。これは、あれだ、あの、心の声だけで情報を伝え合う庶民同士のコミュニケーション・ツールの事だな、と察しが付いたが、私に聞こえてくる心の声が、余りに間近な場所から差し出されたかのような臨場感を持っていて、震えるような緊張感が体内に芽生えて、その電気のように痺れる声の圧に、一瞬、狼狽えてしまった。かっこわるぅー…。次々に、私の心に批判の声が伝わり出した。連鎖的に四、五人くらいが私を嘲笑ったかのように感じた。誰だか知らないが、ちょっと不気味な場所に迷い込んだミスマッチな男という気まずい空気に包まれてしまった。おまえにはわからないよ…、若者のような声が聞こえた。若いわりにしっかりした言い草でいいのけたので、そいつの態度の余りの手際よさに、年の差を痛烈に感じさせられて、私は何だか惨めな気持ちになりかけた。その瞬間、どっと歓声が沸き上がった。芝居ですか…。次は、何だか野次馬気取りの痩せぎすな気質の男の声が聞こえた。一瞬、おまえに言われたくないよ、と云う反感が私の中に呼び起こされたが、その時に、いきなり鋭い咳払いが四方から連発で自分のほうに向けられた。私は、謎の男に近付くばかりか、遠ざかっているような感覚に陥ってしまい、惨めさと負けてたまるかと云う気持ちが綯い交ぜになって、気が遠くなるような苦しさに、その場を保つ事の出来ない、どうしようもなさの内に追い込まれた…。
4.
もう駄目だ。危険を感じたので、私は露天から立ち去って、一回だけ露天のほうを振り返ったが、数人の男が嘲るような笑みを浮かべた表情をこちらに見せたので、心がギクッとなって折れそうな程、しなりを打った。私は、この聴衆は何者の集まりなんだ、と訝ったが、何を思っても、自分が受けた仕打ちに対する怒りばかりがメラメラと燃え上がってきて、これはイカンイカンと自分をなだめて落ち着かそうとするだけで、精一杯になった。毎日、場所を変えながら露天を広げるらしいから、謎の男の行動も全く予測できないし、それを追っ掛けて付いていく聴衆だって、自分にはとてもじゃないが真似する事の出来ない連中だ、と感じた。何だか、謎の男の取り巻き連中、そして決して辿り着けないその露店の放つ存在感が、途轍もないエネルギーの宿るテリトリーみたいに思えた。私自身に全く欠落している、神の領域にしかない強烈なパワーの主たちが、私が来るのを鬱陶しそうに撥ね除けようとしたんだ、私みたいな人種は決して近寄る事さえ許されないんだ、とでも告げるかのように…、私を指先でゴミのように爪弾きしたのだ。完全な負けだった。太陽のような熱気、民衆どもの高い意識の縄張り、結界を張ったかのような神々しい露天の存在感。ちぇっ…。私もなんとか奴らの仲間に入りたかったが、それとも、もう金輪際、露天へのミーハーな憧れ、不埒に燃え上がったジェラシーの気持ち、謎の男への大いなる興味も、忘れ去ったほうが良いのだろうか。私に強烈なインパクトを与えた今日の日の事を、私は忘れる事など出来ないだろう。ただ、聴衆たち、奴らには、負けたくはないんだ、と云う気持ち、だけが、数日間ほど、私の中に渦を巻いて、私の意識を占領していた事は、此処に告白しておこう。
エピローグ
私は、今までの生活が、全て間違っていたんじゃないかと、大いに反省した。生活を回していた全ての歯車をいったん外して、新たに再度、強靱な鎖の環で、人生の軌道を掛け直すんだと、思い立った。ゼロからの出直しを、苦肉にも図った。しかし勝手に、完全に、全てを一から、やり直さねばならぬ状況に追い込まれていった、と云うほうが正しいのだろう。それでも、私にとって、あれ、あやつ、あの体験は、強い改心を呼び覚ます、神聖なる体験だったのだ。二度と体験する事の叶わない、荒ぶる神との直接的な接近だったのではないだろうか。あの露天との縁は、それっきりになってしまった。私にとって、あの時の体験は、まさに神の領域で行われている目映い光の集まるパワーとの遭遇だったんだ、と冷静に考えるようになった。あの露天一帯を支配していた、強いエネルギーを、もしこの自分が、手中に収められるとしたなら、どんなにか素晴らしい事だろうなあ、と何度も思った。時々、空想にように、あの時を思い出そうとするのだが、その途端に当然の如く、数々と浴びせられた聴衆からの手痛い仕打ちを、鮮明に思い出さねばならなかったので、私はその度に、ルサンチマンのような、どす黒い恨みの染まった感情を、炎の如くに燃え上がらして、ムカムカするのだった。そんな時には、まだまだ、私は未熟であり、人間的に成長しなければならない、無駄にデッカく、デッカくなった、ひよっこなんだビョー、謙虚になりまチョウねー、と素直な気持ちで、自分を優しく諭すようにしている。
― わたくし、41歳の夏の出来事である。 ――
了.
愛について
第二章
「夢で出逢った女」
プロローグ
長き夜、夢の中に、初めて女性が現れるようになった、若かりし頃の大きな転換期 !! 、を思い起こしながら、しばらく昔を懐かしんだ。始まりは定かでないが、高校生の頃だったかも知れない。現実には、決して現れない架空の恋人としての存在が、夢に現れるようになった。中学までは、サッカー人生の真っ只中だったので、サッカーの試合ばかり夢に見ていた。今でも、サッカーをする場面は必ずと云って良いほど、夢の展開に欠かせない部分として、僕の夢に組み込まれている。でも今は、サッカーの夢のことは、一先ず措いておこう。そして、これから語る夢が余りに衝撃的だったのは、中学時代に片思いをしていた女が、リアルな形で僕の夢に現れた事にあった。
1.
僕は、彼女と古いホテルに入っていこうとしていた。
何故か、霧雨が降りそぼる、名もなき土地に建つ街を、さまよい歩き、彼女と共に身を休められる場所を探していた。僕は、この街に車で辿り着く手前、全く見知らぬその彼女を拾って、助手席に座らせ、運転してきた。雨で視界が遮られる中、信号が赤になり一時停車する度に、どちらの方角にハンドルを切るべきか、途方に暮れた。知らない土地に踏み込んだら、まず眠る場所を確保する事が重要だった。
なんせ、異世界を探検する冒険の旅では、その日に休める宿の果たす役割が、かなり重要なのだ。私は、黒い服に身を包んだその彼女の顔を、まだ、確認できていなかった。彼女の頭を覆い隠している黒いコートに付いたフードの所為だった。その女を何処で拾ったのか、私には既に思い出せなくなっていた。地図などは、初めから無かったから。
それでも彼女は、僕に寄り添いながら、フードの影になって見えはしなかったが、恐らくは、切ない恋人の表情を浮かべて、黙って付いてきた筈なのだ。僕も、悪い気は、していない。
2.
女との一夜は、辛口の人生で味わう甘酸っぱいワイン。酔い潰れた後、もう僕は既に死……。
3.
汗ばむほどの車内の温度に加え、ジワジワと堪えきれない蒸し暑さが、淫らな予感に比例するかのように、増していく。彼女の額にも、汗の粒が浮き出ている。色白の柔肌を覆い隠すロング・スカーフの下に埋もれた彼女の顔、その瞳は、ずっと俯いた角度で伏せられており、何故か此方からは死角となって見えないのだった。
両胸の膨らみがグレーのコットン・セーターの上から確認できた。こんな素直で従順に、僕の側を離れず、くっついてくる彼女が、やおら愛おしくなって、強ばっていた僕の心は、彼女の優しさにタジタジとなるくらい絆され、僕の心と彼女の心は、次第に一つの愛の手綱になって、自然に重なっていく。ゆっくりと抱き締めたい。そして、服を脱いで、肌を合わせて、お互いの肉体を確認したい。
夜の街のなか、僕たちは車を止めて、繁華街の一角を、そそくさと歩んでいた。
ビルから漏れてくる夜間常時灯の明かりが、夜の霧雨の残像を、はっきりと印象的に、浮かび上がらせた。大通りから一歩、路地裏に踏み込めば、静かな住宅街が広がっている。少し傾斜のキツい上り坂の両脇には、コンクリートが剥き出しの、モダンなハウスが建ち並ぶ。
女は、静かに一歩ずつ足を踏み締めていく。
彼女が歩くその度に、スカートの裾から細長い足首がすらりと見え、柔らかそうな白い肌が、街灯に照らされて仄かにポッと輝くさまを、目を釘付けにして見入っている内に、淫靡なまでに燃え盛っていた僕の痴情が、次第に純真なる初恋の色へと、鮮やかに染め抜かれていった。
真っ暗なロビーを抜けて、
受付の女性にチェックインできるか尋ねると、
空き室ありと告げられた。
低い天井の長い廊下を歩いて、突き当たりになる手前の、右側の部屋に滑り込んだ。
~~《 二階建ての、長い蛇のような形状をしたホテルだった…。》 ~~~~
4.
何だか、ロビーから遠く隔てられた、肉体の最奥にある秘密の扉を、やっと抜け出たような、開放感、安堵が胸の中にあった。蛇のクネクネとした胴体に飲み込まれた後、もし蛇に心があり、その心が棲み着く蛇なりの精神が鎮座する部屋があるなら、まさしく僕たちは、その部屋を訪れたのだった。黒いコートを着た女は、それを脱いでハンガーに掛けると、ホテルに置いてあるタオルで、顔や腕を拭き始めた。
何なんだろう ? この、ズッシリした濃密なパウダーの壁に気圧されている感じは…。自由なる外の世界から遮断されて、吸い込むほどに重苦しく感じられる、空気の淀みときたら。すぐにも、反吐が出そうだ。生暖かい動物の、臓腑に入り込んだようなグロテスクな気配が、如実なくらい濃厚にあった。彼女は、少し苦しそうな、乱れた呼吸をしている。
僕は、このまま彼女と、甘い夜を過ごせると思っていた。しかし、ジワジワと、そんな火遊びをしていられるような状況ではないぞ、と誰彼となく教わってでもいるかのように感じて、漸く悟った。このホテルは、全てが何だかおかしいって事に… !? 、僕は、気付いたんだ。でも、疲れて動きたくなかったし、ベッドに横になったら永遠に眠り続けるのではないか、と恐れを抱くほどの、疲労が積もり積もっていた。
女は、僕のほうをチラッと盗み見ては、自分の身体の曲線を、品定めするような手でなぞっている。まるで、この夜を自分から待っていたかのように。しかし何だか、この奇妙な建物自体が、生命を宿しているかのような錯覚が働いたが、何故なのだろう。部屋の壁も、何となくドロドロの体液で塗り固められたような、醜いまでのテカり方をしていたし、電気製品の表面さえ、半分濡れて黒光りしている。ベッドの布団は暖かそうに敷かれていたが、下着のまま座ると、じんわりと湿っているような気がしたので、ゾゾッとした。
僕は、女に向かって言葉を放とうと努めた。しかし、声にならない。何故だか、この部屋の中に居ると、この世の音なる音となりから、完全に断絶された気がして、隔世の感があった。僕は、何だか眠りたい欲望に促されて、ヨロヨロと崩れそうになった。女は、部屋着になってベッドに横になろうとしていた。このままホントに眠っても良いのだろうか。こんな状況では、今すぐ女と、此処から逃げ出したほうが良いだろうに。そんな事を、本能が耳元で囁いているのだが、どう動くにも、体が重く沈んでしまいそうな疲労が足を引っ張って、何もしたくない怠さの中で、僕の意志の行方を封鎖するのだった。
5.
窓を開けてみようか。そうだ、外に出るには、窓という手段がある。
僕は、窓際に歩み寄って、窓鍵の場所がないか、手探りした。しかし、完全に密閉された窓らしく、頑丈に建物に組み込まれていて、動かせない。いやいや、参ったな。このまま惰性に負けて女と眠り込んだら、実際、ヤバくないか? このまま女を抱いて、恍惚の中に意識を失えば、死ぬのかも知れんのだぞ。今更になって、そんな妖しい気配がアリアリと感じられて、此処から逃げ出したい衝動に、僕の身は突き動かされていた。
だが、この女と甘い夜を過ごせる機会は、今日を逃したなら、二度と巡ってこないかも知れない。情事を楽しみたい気持ちに刃向かう事は、どうみても、この場においてミスマッチだった。しかし何はともあれ、僕は眠りたかった。強烈なまでの眠気が、襲ってきているのだ。それに、今の尽き果てた体力では、如何様にも、逃げ出す事はできない、そう結論を下すと、僕は、犬ころのように自分の欲望を剥き出しにして、心の声を封じ込み、今の状況に降伏しようと決めちゃったんだ。
もしかして、ホントに明日は、やって来ないのだろうか…? そんな危惧が強烈に意識を煽ってくるのだが、僕はベッドに体を預けて、女の横に滑り込んだ。男の弱さ、此処にあり。明日の事など、もう、どうでも良いと思って、危ないと告げ知らす自分の正しい直感を、スコチョンと切断してしまった。
彼女は、寝返りを何度も打って、寝苦しそうだった。僕は、じんわりと濡れてるベッドのシーツが不愉快で、まるで眠れなかった。彼女は、もう眠っているようだ。少し目を開けて、部屋の天井を睨んだ。すると天井には、女の不気味な笑みが、残像のように浮かんでいた。奇妙だ。なんて、現象だ。ありえないだろう。僕は、そっと起き出して、ズボンを穿いて、部屋の鍵を握り締めた。やっぱり、逃げるぞ。さっきまでの気持ちを翻して、強い決意を固めた。僕は、この呪われたホテルから、逃げなきゃならない。
そっと、彼女の寝顔を見ると、安らいで幸せそうな表情を、これでもかと浮かべていた。よし、こうなったら、一緒にトンズラこいて、逃げてみっか。今なら、まだ間に合う筈だ !! そっと、彼女の肩を揺すってみた。すると、寝顔のまま、微かに不気味な面持ちで、怖さを感じさせる笑みを表情に強ばらせて、湛え続けているではないか。これは、まさかだったが、天井に浮き上がった女の顔の、引き写しだった。僕は、怖くなって、彼女の手を取って、躰を強く抱き締めていた。この女だけが、いま信じられる僕の全てだと思って…。
その彼女の口から、呪文のような小さい言葉が、そっと漏れた…。
6.
「抱いて」
僕は、フッと我に返った。この女は、いったい誰なんだろう。ふと、魔術使いか、果ては、幻魔術士なのか、と思いを巡らせた。そういえば、よく見ると中学校の時に好きになった、あの女じゃないか。間違いない !! あんなに憧れて、夢精の対象にしていた、いたいけな中学時代の高嶺の花が、今ここで、俺に、抱いて、と、せがんでいる。俺は、素早く女の着ているスウェットを脱がせた。胸をはだけさせ、乳を吸った。綺麗な身体だった。乳首が、うっすらピンクに色付いている。興奮が高まってきた。夢にまで見た事が、すんなりと現実になっている。僕は、彼女をパンツ一枚にして、自分の膨張した股間の一物を、彼女の下半身にすり寄せた。
それでも、何故か身動きが緩慢なまま、手足を思い通り動かせないのが、不満だった。半分、これは現実じゃないんじゃないか、と疑問に感じた。こんな上手い具合に、現実が展開する訳がない、と。
彼女の胸に、再び飛び込んで、むしゃぶり付いた。それから暫くして、僕らは、いつしか眠っていた。厳重に守られた世界の果てにある穴蔵の中で、二人は一つになって、安らかに眠っていた。二人にとって、長年の夢だった一夜の情事が、現実となった。僕たちには最早、眠る事しか出来なかった。そして、ミイラとなるまで、このホテルの中で、沈黙を守る番人になるのだろう。葬られていた愛は、旧い墓から起き上がって、成就した。僕たちは互いに求め合いながらも、今まで、離ればなれで暮らしてきた。心の中で、必死に一つになろうと呼び掛け合いながら。
今宵、僕が過去に打ち棄てた初恋は、こうした形で実を結んだ。
この時を以て、人生は最高潮を迎えた。
彼女の中に、性欲の極みを出し尽くし、精魂を搾り切って体力を使い果たした。僕は、これ以上ない快楽に、しばし酔い痴れた。一応、断っておくが、僕は、その夜の内に、朦朧となって既に帰らぬ人となったらしい。今後、彼女と共に、未来永劫、このベッドの中で、眠り続ける運命となったのだから。僕は、何もかも終わってしまった喜びに、密かな痛快を感じていた。良かった、もう、何もしなくて良いんだ…。その嘗てない程の大いなる安堵に、ガッチリと四肢を繋がれたまま、彼女を腕に抱いて、瞳孔は闇の中へと閉ざされて、魂をもぎ取られて…、この世の、可憐なる恋に永遠と縛り付けられしき、朽ち果てぬ半死半壊の、ミイラと成り果てた。
彼女は、僕の命を奪いにきた小さな天使だったのかも知れない。
エピローグ
僕たちを飲み込んだ蛇の肉体が、ゆっくりと動き出した。
蛇は、何処へと、二人を運び行くか
既に、透明な肉体となった蛇は、
星々の浮かぶ夜の大空へと、
胴体をくねらせながら飛翔していく
街の地下に眠っていた蛇が、
恐るべくも覚醒して、
真っ赤な瞳をカッと見開き、
鈍い閃光を残しながら、二人を、
初恋の者たちが棲まう園に、運んでいった…
了.
愛について
第三章
「逆さまの世界」
人生とは、好転期と停滞期の繰り返しだ、と云う。あんなに激しく燃えて神懸かっていた僕の天才ぶりが、社会の車輪の軋みに挟み込まれ、擦り潰されて行くだけの事だったなんて、想像すらしていなかった。何の失敗も経験する事なく、僕は今まで順調に生きてこられた。それを、見事にぶち壊すような黒き存在が、僕のほうへ、知らぬ内に接近していたなんて、予想する事など出来ようもなかった。
何度もめげずに就職面接を受けていったのに、何処にも引っ掛からず、僕の生活は止まったままだった。大学にも行かずに、自分は神に選ばれし、天才を受け継いだ、数少ない人間のひとりである、と云う強烈な自信だけを持って、世間の動きに耳を貸さず、ただ静かに己の時が来るのを待つような、その日暮らしを続けていた。いつしか、友人からも見放され、家族からも将来を心配されるようになり、自分の揺るぎない自信さえもがガタガタ崩れて行きそうな、不吉な西日が僕の心に差し込んでくるようになった。本を読んでいても、運動していても、得体の知れない不安だけが、すくすくと成長してきて、僕の身体をグルグル巻きにして、息苦しいほどに、強く締め上げてくるのだった。
成人式を終えて、友人たちと、人生の門出をお互いに祝福し合うべき時に、僕は救いようのない孤独感に苛まれ、蔭を帯びた死霊のようなオーラが自分の周りに漂っているような自意識の中で、何もかもが自分と関係なく動いているような、世の中から取り残されて、最終的に、世間から隔離されなければならない要注意の危険人物であると、人類裁判で烙印を押されてしまったかのような、まるで、終わりのない分厚い突風の中を、必死に藻掻きつづけなきゃならない運命…、反世界から突き付けられた判決状に逆らって、宛てもなく、痩せた身体を引き摺りながら、歩いていた。ついでに云えば、冷たく狭い牢屋の中に繋がれた囚人の抱える絶望感のようなものが、みるみると僕に忍び込んできて、襲い掛かってきたのだった。
それは、自分の人生を積み上げていく堅実的な努力の実践から遠ざかって、何もする気になれず、世の中を悲観してばかりで、身動きの取れない窪地に落ち込んだまま、僕がどうにもならない絶対ピンチに追いやられている事実を、現実のほうから、冷酷に告げてきたように思えた。だから、もう逃げ続ける訳にはいかない状況になったんだと、僕は、その時になって、遅まきながら、重い腰を上げるように、ヘトヘトな状態で、ようやく正しく認識できたのだった。
僕は、よく、以下に示すような想念に、どっぷりと浸り込むことがあった。
天才とは、世界に自分が存在すると云う認識を、情熱の中で完全に肯定し、自然の理のままに組み込まれた必然として捉えている。常に、世界に対して己の心が太く繋がれている状態、高次元の巨大なエネルギーが、己と世界の間を滞りなくスピーディーに行き交う、意識の上に打ち建てられた栄光のワインディング・ロード。少年の頃、自分がひょっとして天才ではないか、と思ったんだ。僕は、人生の課題に直面する度に、いつも自分の願う通りの結果を出してきた。小さい頃の話だが。世界とは、単純な法則の上に、整然と構築されたビルディング。そこには、何の苦しみも無い。完全に心が無垢なまま救われた状態。自分の意志で、どんな自由も叶える事ができる。僕は現人神となって、指先で簡単に、世界を操っていける。そんなバカバカしい妄想を、僕は心の中に、大切な秘密として、隠し持っていたのだ。
此処に、僕の天才ぶりが発揮された、ある一日の事を、記しておこう。
完全に、僕の考えが正しかったと、痛いほどに気付かされる、
そんな僕の逆転勝利が、実際に起こってしまった、ある日の、奇妙なる真実の物語を…。
僕は、就職の面接に向かっていた。どんな態度で、何をどうアピールすれば良いか、前もって準備する事はなかった。何がどうあろうと自分の思う通りに世界は動くのだと、信じ切っていた。何の不安も感じずに、時間的にも余裕を持って、面接会場に到着した。しかし、どんな仕事の内容だったかさえ、調べなかったのは、不味かったと思ったが。どんな企業であっても、僕の持てる力で、十分に能力を発揮し、戦えるだろう。僕は、控え室の椅子に座って、自分の順番が来るのを、ひたすら楽しみにして待っていた。やっと、自分の名前が呼ばれた時、ひとしきり強く胸が高鳴った。これで、僕の人生は更に、好転して上昇していくだろう、僕はそのような超越した予感を胸に、輝かしい勝利を確信していた。
その面接会場の控え室には、椅子が並べてあるだけで、会社の人間は誰もいる気配がなかった。僕の名前が呼ばれたのも、天井に設置された放送用のスピーカーからだったし、戻ってくる面接の応募者たちの顔も何だか浮かない表情ばかりであったのが、何となく不思議な印象だった。僕は、入り口と書かれているドアを開けて、歩いていった。真っ暗な廊下がまっすぐに伸びている。一番奥に見えているドアも米粒ほどにしか見えない、そんな長い廊下だった。闇の中を歩いている内に、何回か、お偉い方らしい人物の咳払いがスピーカーから聞こえた。あなたの歩いている姿は、私たちからは見えています、そんな言葉が女性の声で聞こえた。僕は、咄嗟に、これが新しいタイプの面接なんだな、と直感した。
僕は、この奇抜なスタイルの面接を楽しもうと思った。驚きと共に強い好奇心が芽生えてきた。時代もここまで来たか、と少しばかりの羨望に似た気持ちも、確かに感じられた。会社について、僕は何の固定観念も持っていなかった。お金を稼ぐって事に綺麗事を持ち込むべきでない、と思っているし、どんな形の仕事であろうと、そこには従業員にとって厳しい現場がある筈だ、との諦念すら持っていた。今、ここで、自分の適正が試されている相手企業について、どんな想像を働かせても、何のプラスにもならないだろう。自分自身の発言や立ち居振る舞いを毅然とさせる以外に、取るべき態度はないな、と思った。そして、幾つかの質問が、暗闇の中から聞こえてきた。
- あなたは自分自身という人間を、どのように捉えていますか ? -
「僕は、ごく普通の人間です。ただ、少しばかり世界に対して目覚めている先見の明を持った人間であると思っています」
- 仕事について、どのようなイメージを持っていますか ? -
「どんな仕事であろうと、地道な作業である事を自覚しています。堅実さが大切です。それに、誰であろうとその人間の持てる能力に、大した違いは無いと思っています」
- もし、私たちの会社で働くとしたら、どんな事をしたいと思っていますか ? -
「どんな業種であるか、如何なる仕事内容であるか、僕には余り興味はありません。僕自身は、想像力を形にするような仕事をしたいと思っています。だからって、自分の求める仕事の幅を狭めようとは思いません。どのような仕事であっても、自分らしく能力を発揮する、そういう覚悟があります。単純な作業だけに従事する内容だけは、お断りしたいと考えています。人間らしい創造力を活かせる現場こそが、僕の求める理想であります」
此処まで、若い女性スタッフらしい声とのやり取りが続いていたが、どうやら次に新しいスタッフと入れ替わったらしい。そのまま、面接が続行する事となった。深い声を持った落ち着いた中年男性のような人物が、続いて質問を行っていきますね、と挨拶をしてきたからだ。どうやら、第一関門は終了したらしい。しかし、ずっと奥にあるドアの発する滲んだ光だけしか見えない暗闇の中で、いつになったらあのドアに辿り行けるのだろうか、そればかりが、気になって仕方がなかった。
- あなたは幸せをどのような時に感じますか ? -
「僕は布団に入ってもすぐには眠れず、様々な経験をした一日のおわりとして、必ずあの時のあれこれは、どういう意味があったのか、振り返ってみる事が多いのですが、必ず最終的に、人間に対する深い愛を持ち寄って、落ち着いた理性ある解釈のまま、作業を終えるようにしています。酷い事があった日は、愛に従う意味の解釈に、苦しさが伴います。それでも、愛に満ち溢れた感情に自分が包まれるよう、我慢強く、想念をたぐり寄せて、新しい自分に生まれ変わる気持ちになって、紡いでいくのです。こうした作業を無事に終えられた瞬間に、漸く、何とも云えない幸せな感情が、一気に溢れ出て来るのです。神に感謝する素直な心境に、限りなく自分が近付いた、と思える一瞬です。自分の精神状態を安定させる為の工夫と努力の一環で始めた、眠る前に行うこの習慣こそが、今では、自分にとって、最も幸せな時間だ、と感じられます」
- その幸せを誰かに分けてあげたい時、最初に思い浮かぶ人物は居ますか ? -
「僕は、いつも家族か恋人か、どちらが本当の愛の対象になりうるのかと、考えが揺らぐのですが、自分の生命を生み出してくれた両親、幼いときから共に暮らして成長を分かち合った兄弟、恩人として思い浮かぶ幼いときの学校の先生、教室の中で友情を育んできた友達のみんな、恋をした相手や、苦労して勉強を励まし合いながら、共に戦ってきた受験仲間たち、住み着いた土地に生きる名も知れぬ住民、喫茶店で出逢う多種多様な紳士淑女の方々、こうした数えきれぬ人間たちとの縁から、僕という人間が少しずつ育ってきた、と感じています。今の自分があるのも、そうした見ず知らずに繋がってきたご縁のお陰なのだ、と感じ入る時が多々あります。でも、具体的に、こちらから何かをしてあげられるような人物は、当然ながら限られています。だから、今すぐ幸せを分かち合うなら、恋人なんだろうな、と思います」
- 幸せを分かち合うとすれば、どんな行動をしようと思いますか ? -
「僕は、何かをすると云うよりは、大切にしたい人への接し方に気を付けます。今までは、こうすれば自分は安全だ、こう言えば、相手は喜ぶ筈だ、とか…、勝手に状況的に思い込んで定義づけをしていました。でも、どんな事があろうが、絶対に心が揺らがない、そんな精神的な安定の仕方を模索してきました。すると、一定のものの見方をするよりは、ありのままで流れるように物事を受け止め、そして強ばった自分自身を解き放つ、自然体の中で生み出される、心の処し方を探すべきだ、と思えてきたのです。それは、支配しない、支配されない、こだわりを捨てる、その人自身を、そのままの姿で尊重できる、そんな態度こそが、自分にとって最も相応しいだろう、と考えるようになりました。自然なぬくもりをお互いに感じ合えるような、そんなふれ合いを大切にしよう、そういった心掛けで人に接するよう、努めるようになりました。幸せって、多分、何気ない時に感じるひとの優しさによって、生まれてくる。だから、僕も自然なエネルギーを、そのままに受け取って、渡すことが大事だなと感じました。こうした繋がりによって、人と、幸せを分かち合いたいな、と考えています」
しばらく、無言の時が流れた。その後で、座席から立ち上がるような音が聞こえた。また、担当者が入れ替わるのかな。そう思っていたら、男の声がして、ゆっくりと歩いて行ってください、との指令があった。僕は、暗闇の中で、押し問答が続いている時間、歩くことを完全に忘れ去っていた。だから、このひと声を聴いて、このまま、先にあるドアまで行っても良いのだろうか、とムクムク期待感が膨れあがってきた。あっ、そこで止まって下さい、と声を掛けられた。うちの社長からの質問に移りますから、との声があった。すこし、そこで緊張が生まれた。僕は、こんな形の面接ってあるのかな~、とこれまでを振り返ってみたのだが、色んな妄想が自分の中で始まりそうだったので、今ここの瞬間だけに集中しようと、気を引き締めた。しかし、長い面接だな、と感じた。このような深い内容のやりとり自体、人間付き合いから遠ざかってからは、経験しない類いのコミュニケーションだったので、新鮮で楽しかったけれど、自分から進んで、このような機会を持つことなんて、殆ど無かったな~、と反省し、何だか不思議な感覚だな~、友人が居れば、こうした事も経験できたんじゃないだろうか、なんて思っていたところで、ハッと我に返り、次の展開を急いで待ち受ける態勢になった。
- えへん、あっ、あ~、おっほん。はい、社長の渡辺です。今まで、あなたの人物を総合評価してきました。きちんとした受け答えができる事、素直な人格を持っている事、常識的な考え方ができる事、まあ、悪い評価は今のところ無い感じです。ただ、これから行う、最後の質問群に関しては、答え方によっては、厳しい点数を付けるかも知れません。では、行きましょうか…。あっ、いつもの自分になって、正直に応えて下さいね !! -
- では、お聴きします。裸の女性が、道端でうずくまっていました。あなた以外に今のところ、人は居なかった。さて、あなたはその女性に対して、どんな行動を取りますか ? -
「まず、裸のまま放り出された女性の身体を、何か覆えるものはないか、探します。何かの事件に巻き込まれてしまった可能性もあります。身を隠せる場所はないか、辺りを観察し、素早く女性を誘導します。僕自身の上着などで身を包んでから、歩けるようなら安全な場所まで誘導します。とにかく、何か着られる衣服を調達しなければなりません。そして、安静に休ませる事が重要です。それ以上の事は、その場で僕がすべきじゃないだろうし、女性にとって第一、こんな状況に対して、恥ずかしい気持ちが優先的にある筈だから、女性から求められた事でない限りは、僕の意志で、勝手に行動するべきではないでしょう。あっ、警察に連絡しなければなりません。それも、女性に一度確認を取ってからですね。何か、この場で必要な物はないか聞いて、近くで調達できるなら、すぐにでも買ってきます。事件に巻き込まれたのであれば、一目散に警察を呼びます。そして、その女性を発見した自分も、発見者として、警察の取り調べを受けなければならないでしょう。そこまでやる覚悟が、最低でも必要だと感じます」
- 少年が数人のチンピラに囲まれて、虐められています。その子は、チンピラに、暴力を受けている可能性があります。あなたは、その状況で何をすべきだと思いますか。チンピラは四人いて、かなり強そうです… -
「まず、喧嘩はよせ、と上から仲裁に入ります。喧嘩自体が良くない事であると、教える訳ですね。そして、被害者の少年のほうへ歩み寄って、今はとにかく、チンピラ共への報復感情や怒りは抑えて、家に帰れと諭すでしょう。しかし、私が仲裁に入る事で、その場の者たちの感情が悪化する恐れもあります。だから、殴りたいなら私を殴れと両手を広げて目を閉じる、なんてアクションをするかも知れない。若いうちは、エネルギーが有り余っているから、鬱憤も溜まってしまう。そのエネルギーは、若さゆえの貴重な資源です。何をすべきか、目標を持たない若者は、人生の迷い人となって、世間の大海に放り出され、自ら取り返しの付かない悲劇を、引き寄せていく事に繋がります。そこで、若者たちは弱いもの虐め、というゲームに、生き甲斐を見出す。自分の思うとおりになる事なら、何でもやってやろうと意気込むのです。虐めを受ける側も、自分の哲学の中で、必死に善悪の裁判を繰り広げていく。子供の頃、物事の善悪という、はっきりした世界観を持っていた人間であっても、いざ自分が、苦しい試練に直面し、難儀が降り掛かってきた時には、勇気を失い、挫けて逃げ出してしまうのが、この世の常です。愛を持って、世の中を揺るぎなく渡っていこう、と決意を固めた正義漢ですらも、その愛を肯定してくれる人のいない厳しい世の中で、自分の持ち寄る全力の愛でさえも、世間から、こき下ろされ、あざ笑われるような、惨めな体験を繰り返し味わう中で、次第に、己が抱えている愛に対する疑惑が生じ、自問自答の苦しみに、その身もろとも、絡め取られてしまう。それに似た形で、勇気が挫け、意気消沈してしまった若者が、遂に、自分の愛にさえも背を向けてしまった時にこそ、手を差し伸べて勇気を吹き込んでやる人間が、必要なんだと思います。どんな暗い未来が待っていようとも、己の若ささえあれば、浮き世の憂さを、雲散霧消に吹き飛ばしていけると、自らに思い起こさせるような、そんな熱い檄を飛ばしてやれば良いのです。若者は、本来もっている生きる力を、どんな事に用いるべきかはっきり自覚できない、モヤモヤした世界に捕らわれています。巨大な世の中の森の下で、惨めになって、小さく蹲ってしまうのです。元気を出せ、明日があるさ、それで良いのです。それ、行け~、また、行け~、ガッツ出せ~、の調子でも全く、良いのです。単純なビジョンであればあるほど、若者に対してならば特に、力強く鼓舞する事が出来ます。私は、潔く、単純なエールを、若者に送りたい、と思います。私という人間も、何が正解かわからない中、孤独に人生を歩んでいる、ひとりの青年です。誰であれ、どんなに、自分の生活を、堅実に、上向きに築き上げていたとしても、それが世の中で、誰にとって役立つ事なのか、正しい事なのか、という、はっきりした疑問の確証を、そもそも導けないのが、人生と云うものです。だから、誰もが、未知の先に向かって、自由に力強く羽ばたいて歩いて欲しい、と考えます。しかし、その中でも、自分の頭で考え続けていく必要はあると思います。自分が選択した事への責任とは、その選択をはっきりと自覚した上で、改めて自分の状況を認識し、地に足を着けて、歩いていく事だと思うのです。あらゆる可能性の中からひとつを選択する重みを、大切に扱わねばなりません。若者に関して云えば、そもそも若者には、時間とパワーがあるでしょう。これに勝るものは、何ひとつとして、この世にありません。だからこそ、若いうちに、希望を見出して、真っ当に歩き出そうって、心の底から思えるような覚醒する体験が必要なんだろう、と思います。恐らく、もう、ここまで、若者に、人生の何たるかを諭してやったならば、グレている若者であっても、きっと自分の意志で歩いてみようか、と云う気持ちに変わる事だと思います。大人は、説教臭い事をするのを、恥じ入ってはなりません。自分が体験して解ってきた事を、率直に若者に伝えてやる事が、何よりも重要なんです。グレるだけの勇気がある人間ならば、きっと素晴らしい何かを、胸の内に秘めているものです。現実の殺伐とした風景の中に閉じ込められれば、誰であろうと、自分の正義感が暴れだして、世の中に反抗せずにおれないものだ、と、僕も、今まで生きてきた実感から、わかる訳ですよ。これらの汲めども尽くせぬ想いを、若者の心に届けてやれば、グレていようと何だろうと、きっと立ち上がれると、信じます。僕に出来る若者への精一杯な愛は、このようなメッセージを、きっちりと、若者が認識できるように届ける事、それだ !! 、と思っております」
- ふむふむ。実に、よろしい。これで、面接は、終わりとさせて頂きますぞ。どうか、そのまま廊下を進んでもらって、突き当たりにあるドアを開けてみて下さい。これから、あなたが働く事になる、新しい職場ですぞ。是非とも、その目でじっくりと、お確かめ下され !! - 僕は、自分の天才ぶりを遺憾なく発揮し、意気軒昂として廊下を歩いた。レッドカーペットを歩く、オスカー俳優のような気持ちだった。どんな職場仲間たちと、一緒に働く事になるのだろう。綺麗なオフィスだったら良いのにな。長い長い、暗闇の廊下を歩き終えた僕は、少し怯えながらも、突き当たりのドアのノブを、ゆっくりと回し、一気にドアを開け放ってみた。 そこで、見たものとは―――。 ~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~ 眩しい太陽の光が降り注ぐ、真っ白に輝く神殿の中を、裸になった男女が歩き回っていた。幾人かは議論をし、または、格闘技を繰り広げたり、愛を確かめるために、互いの肉体を撫で回していたり、無数のいたいけな無防備にも裸である人間たちが、心の底から幸せそうに笑い合って、睦まじく憩いあっていた。僕は、呆気にとられた。スーツを着た僕は、明らかに野暮であったし、自分のほかに誰ひとり、そんな奴は居なかった。 ~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~ 少し、恥じらう気持ち、照れ臭いナイーブな気持ちを、押し殺して、仏頂面しながら、キョロキョロと周囲を眺め渡していた僕は、暫く、その光景にウットリと見惚れていた。無意識に、下半身の敏感な部分が、じわじわと興奮してきたようだった。でも、自分の立場、今ある事態を、すんなり受け入れられずに、自分を解放すべき時なのに、何故か吹っ切れないまま、躊躇の姿勢に固まってしまい、気後れだけがザワザワと押し寄せてきて、心をソワソワと波打たせるのだった。僕は、水を知らずに恐れている子犬のように、ビビっていた。 ~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~ 此処こそは、人間賛歌の提唱されし、究極の楽園だった。秘密の花園、肉体の美を愛でる桂林の地であった。僕は、いつしか、自分の着ている服を脱ぎ捨てて、広大な神殿の中を、軽快に跳ね回っていた。裸になった人間たちの、これでもかと主張する美と、美による、美の為に吹く、春の嵐…。探検し尽くす事も不可能な、広大なる楽天地の中で、深く吸い込まれそうな空、果てなく続く海原。僕は、貴婦人が楽しそうに寝ころんでいる、昼下がりの芝生の上に、一文字になって転がり、彼女たちと、それとなく卑猥な視線を、お互いに確認し合った。 ~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~ 僕のアソコダケが、
芝生から萌え出たように、
空高く、垂直に、そそり立っていた。 麗しい女性らの弾むような声、
何の陰りも見えない明るい表情、
ツンと反り返った意地らしい若さの美。 もう、以前に住んでいた世界には、
戻れないのだろうか。 いや、正直、戻りたくもなかった。
僕は、楽園を徘徊する一匹のバター犬となって、
何処までも終わりない時間の中を、跳ね続けていた。 ~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~ 永遠に、飽きることを知らず、笑い転げていた。
おわり
